人は自立していきます。
でも自立する事に対して阻む事や人がいろいろあります。
自分自身であったり、家族であったり、社会であったり、その他いろいろ。
家族って何だろう、幸せになって欲しい、みんなそう願っているはずなのに。
人の可能性は年齢に関係なく私はあると思います。
自分を信じ、その人を信じ、生かされている、
自分を信じて、可能性を追及していく。
人はいつか死にます。残された人が自立した人だったら
安心して死んでいけるような気がするのだけれど。
家族を愛する事、人を愛する事ってけっこう難しいなって思います。
本当の自立もね。
このごろ学校って何だろうと考える事が有ります。
私の学校時代ぼ~としていていつもお客さんでした。
先生の言っている事あんまり分からない。
国語のテストの時、この作者はこの文章を書いた時
どう思って書きましたか、と問われた時、人の心は分からない
と書いたら×でした。
今でも間違っていると思えない、感覚が違うって事でしょうか。
世の中答えなんかいくつだって有る。
それを1つか2つしか答えが無いというと窮屈になる。
私にとって学校はとっても窮屈だった。
でもね、一生付き合う友達ができた事、
これは私が学校に行って良かったと思う事かな。
お客さんやっていても何とか自分なりに学べた事もあったしね。
だから時々私は漢字を間違うの、それは私の愛嬌と思っていて
気に入っている事です。
人は自分が他人に好かれるかどうか気になります。
私もその1人です。
私の個性なかなか大変で、出会った人にいつも言われるんだけど、
「自分の人生で見た事が無いタイプ」だって。
それはそう、私はこの世で私1人だもの。
世の中、みんなに好かれる事は無いし、
みんなに嫌われる事も無い。
だから少しは気にしても、それで心がいっぱいになる事は
無いのだと思っています。
心が自由ってこんな事かなって。
ただ好き嫌いという事では無く、他人がいろいろ心配して言ってくれる事。
せっかく2つの耳が有るのだから、聞く事かな。
それとふりまわされず自分の良い行き方につなげていく。
それは人生の知恵かなと思う。
私は自分の老後をわくわくしながら考えます。
自分が終の住処に、こんな所だったらいいなと思うような
グループホームをつくりたい。
気の合ったどうし寄り添って、そうでない人達とは
ちょこちょこやりあいながら、
”さなぎ”さんから出てきた人達で仕事として
面倒をみてもらいたい。
きっと温かだろうな、
そこに私が入るのです。いっぱいいっぱい面倒をかけ、
最後に「じゃ、あばよ」って死んでいく。
私の葬式はとっても明るくて、
みんな良かった良かったとドンチャン騒ぎ、
いじわるばあさんも悪くないなと思います。
私はどこか道を探して、ある場所まで行くのが苦手です。
とても酷い方向オンチだからです。
道を探している間、私の頭の中は”ここはどこ、私はだあれ”で
いつもパニックになっています。
右ってどっちだっけと考える頭だからしかたがありません。
ここに来る人達の中で自分探しの苦手な人達がいます。
自分探し形方向オンチのようなものです。
”ここはどこ、私はだあれ”です。
私はこのごろ苦手な事ってやってもとっても疲れるだけ、
やらない事にしています。
人には得意な事がいろいろ有ります。
それを夢中でやっていると、ある場所まで行けるような気がします。
私と外で会ったら、どこへ行くのと声をかけてください。
私は摂食障害(?)アダルトチルドレン(?)
でもね、世の中や親から傷つけられなかった人いるのかなと思う。
とんでもない事、世の中いっぱいあると思う。
前は、私も後ろ向いていた時も有る。
でも、もう、すぎちゃった事、これからどう生きようかと進みだした私の方が好き。
私は今、摂食を心や体が疲れた時、リラックスする為に体に負担にならない程度にやっています。
楽しい会(楽しいモグラクラブの休憩室)に来てみませんか。
摂食”たのしい会”なんていいんじゃないかと思うんだけれど、あなたはどう思いますか。
生まれてきて
生かされている意味
物がいっぱいあるけれど
何か足りない
それって何なの
それを探す仕事を
みんなでしていきたいな
先行く人として親としての宣言
私は子の親であり、世の子の親であると
悩める人達もまた、世の子であると
一つの家庭から、世の家庭へと広がり
子育ての中から、親育ちがあるのだと
苦しみの中から、喜びがあるのだと
とらわれる事が無く自由になった自分を感じ
世の子の前に、不退転の壁として抑制者として
立つ事を、私は誓います。
後行く人として、子として宣言
私は何物かと悩み、個の確立を目指し
親の子であり、世の子であると
苦しみの中から、喜びがあるのだと
とらわれる事が無く、自由になった自分を感じ
先行く人の壁を打ち破る者として
世の平和と、大いなる未来に向かって行く
勇気を持つことを私は誓います。
このごろ世の中がおかしくなってきたなって思います。
私はこの店に来ている人達にいつも言っているの、
自分は自分でしか助からない。
自分の意志は骨のようなもので、それで立って道を歩いて行けるんだよって、そして飛べる。
地球の意志って私はあると思う。
地球が危なくなったのでストップがかけられた。
そしてあなた達は”さなぎ”になった。
私はあなた達に伝えたい。
1人1人は大変かもしれない、それはとっても分かるけれど、
新しい生き方で地球を救う”チョウ”になってみませんかって。
小さなチョウでいいんだよ、
一緒に飛んでみませんかって。