こんにちは。
ゴールデンウィークがやってきましたね。
皆様はいかがお過ごしの予定でしょうか?
久しぶりのブログになる今回は少し古め、2005年公開の「君に読む物語」をご紹介します。
「メッセージ・イン・ア・ボトル」の著者ニコラス・スパークスの長編デビュー小説を映画化したラブ・ストーリー。運命的な恋に落ちながらその関係を引き裂かれてしまった一組の男女の、時を経た永遠の愛をロマンティックに描く。監督は「ジョンQ-最後の決断-」「シーズ・ソー・ラヴリー」のニック・カサヴェテス。
とある療養施設に独り暮らす初老の女性。彼女は若かりし情熱の日々の想い出を全て失っていた。そんな彼女のもとへデュークと名乗る初老の男が定期的に通い、ある物語を読み聞かせている。それは古き良き時代、アメリカ南部の夏の恋物語だった――。1940年、ノース・カロライナ州シーブルック。裕福な家族とひと夏を過ごしにやって来た少女アリーは、そこで地元の青年ノアと出会う。その時、青年のほうは彼女こそ運命の人と直感、一方のアリーもまたノアに強く惹かれていくのだった。こうして、2人の恋は次第に熱く燃え上がっていくのだが…。
一瞬に燃え上がるような恋だけじゃない、いろいろなことを乗り越え、
永く永く続けたからこそ得られた、とてもとてもシンプルな純愛の物語。
泣けるかどうかはなんともいえないですが、かれこれ3回ほど見ているでしょうか。
さて、
それはともかく・・・ここからは私の両親のことを書きます。
昨年の2月、父が亡くなりました。
60歳の時に患った胃がんの後遺症でうつになり、
薬の副作用等もあり栄養失調のすえ71歳で亡くなりました。
難病の母を自宅介護すること3年の時の中で、
病気によりいろいろなことが出来なくなる母に憤ることもあったけど、
体調不良の中親戚宅まで母を乗せた車いすを押歩いた父・・・・
母が療養施設に入って間もなく
もう歩いていくのが難しくなり車で送った際のこと、
いかにも年寄りらしいツバが端にたまっている唇で母に口づけをかわす父・・・
母が治らない病気だと知り急速に気力を失った結果、
2010年夏、転んだ際に頭を切り救急車で運ばれ入院。
11月、何も告げていないのにも関わらず
危篤になった父とまるでシンクロするように病状が悪化する母・・・
翌年2月に入るあたりから少しずつよくなり
父が亡くなった11日に訪れた母の病室では
ある種のぬくもりを感じられるようで・・・
そして3月31日の四十九日のあたりから
寂しそうな顔をしつつ容態が悪くなる母・・・
そしてまたお盆の時期に良くなる・・・
離れていても魂で通じ合い、
そして死してもなお魂で通じ合っていたと思いたくなるような、
「君に読む物語」のように、
名誉や財産もなく、すぐ忘れられる存在だけど
ただ一つの愛があったんだなと、
およそ7年、介護の中で様々なことを学びましたが、
そんな学んだことよりも、
その一つのことを大事にしたいなと、
進行性核上性麻痺におかされること9年間の闘病の末、
4月23日、ゆっくりと眠りについた母を看取った際に
そんなことを思いました。
こんなことを吐き出すことしかできませんが、
これを見た人が、それを辞めようと思ったときに、
何となく踏みとどまってくれるような
永く続けたからこそ得られる、離れていても魂で通じ合えるような関係を得るための、
些細なきっかけになれば幸いです:)
はぁ~前回の『車がない><』では、いろいろな方に気をかけて頂いたものの、『あほかー!』などの反応がなく、若干ではありますがしょんぼりしておる、こんです。ちわ!
以前、続くと書いておきながら、随分日にちが経ってしまいました。
面倒だったというのもありますが、何より難しいなぁーと。人それぞれ必要なことって違うと思うけど、何か相反することになりかねないので、あぁ難しいなぁーと。
近年の技術の進歩は目覚ましいものがあります。かたや合理化や利益追求などにより、どう見ても世の中の敷居が上がってますよね?
IT関連に関して言えば、距離なんて関係ないので地球の裏側の技術が翌日には世界中に広まっています。自分だけそう思うのかもしれませんが、フルマラソンを全力疾走しているような業界じゃね?と思っています。
実際、時事に敏感であることも必要だけど、日々世界を相手に戦っていては身がもちませんよね。 けど日々の仕事をこなしていくと、最終的には自分との戦いということになるのではないでしょうか。
数々の偉業を成し遂げている、イチロー選手。
TVで見るたびに顔つきやら、言葉の力が増してますよね?
誰からも見れる実績がそうさせるのかもしれません。
でも、日々の努力、うぅーもぅ限界だーと思っても、さらに努力を続けた時、自分に負けない自信が付くんですね。
きっとその自分に負けない自信の積み重ねが、今のイチロー選手の顔に表れているのではないでしょうか。
かっこいいなー、なんだか惚れちゃいます(ぽ
あうあわないは置いておいて、基本、人間不可能なことはないと、とてもハタ迷惑な性格をしておりますが(笑、
たぶんそんな性格の人間なので、いままで4回ほど転職しましたが、そのたびに全く違う業種の仕事についてました。
何とも無駄の多いことですが、きっと自分探しをしていたんでしょうねー・・・
分析の星生まれの僕としては、データーやら統計学に惹かれます。愛さえ感じられます。
嘘ですね。すいません・・・ 8)
データーのないものは分析しようがないので、自己分析に勤しむわけですが、中々経験のないものってわかりませんよね。
でも、この情報化社会。良し悪しはあるけど、良い部分は使いましょうってことで、まずは、シンプル開運ライフをご紹介。
WEB屋としては、んん、表紙が見づらいズラ!とわけのわからない感想が出てしまいますが、とてもわかりやすく、ニート問題など多岐にわたることを執筆されていて、非常に勉強になりました。
『何?占い?!』と思う人もいるかもしれないけど、カウンセラー、コンサルタント、FP、ソーシャルワーカーや教師などの職業、また、マーケッティング、マネージメントなど、対象が人である以上人を知るのが近道じゃないのかなと思っていて、そういう意味では宗教などの教えや占星術など数千年前から受け継がれているものって、そういうことの宝庫であり、原点かなと思います。
ところで、WEB屋であるにもかかわらず、余裕なくてブログなどはあまり見ない人で流行に疎いのですが、随分前にストレングス・ファインダーというものがはやったらしいです。
”さぁ、才能に目覚めよう”という書籍を買うと、表紙裏に記載されているIDを、サイトで登録することで、1回限りテストをすることが出来、180門?だかの質問に答えることで、自分の才能が分かるというものです。
検索するといろいろな人がやっております。会社ぐるみでやっているところもあるようですね。
何より才能の種類そのものが面白いですね。ストレングス・ファインダーでは34の資質が定義されています。
自分としては、内省、学習欲などあるのかなと思ったんだけど、全然なく・・・
着想・戦略性・分析思考・最上志向・責任感という結果でした。
で、説明を読んでみると、なんかそのまんまですね。そのまんまでごめんなさい!という感じだけど、着想も才能というのは、ちょっぴり、というかかなり嬉しいです! :)
ただ才能を活かすには、知識や技術を磨くための努力は必要です。
そういえば、以前モグラでちらっと読んだ本に、努力も才能のうちと書いてある本があったけど、これには含まれていないんですよね。
なんでかなと考えてみると、例えば自分の場合、自分の行いが、いろいろな人の目に触れ比較されることで、最上志向が働き、責任で遂行。という感じで力付いてきたのかなと考えると、資質によって努力出来るかどうかの環境ってあるんじゃないかな。
そう思うと、努力できる環境を探すことも、自分探しの旅ということになるのかもしれませんね。
生活。
いきて、いかす。もしくは、いかせば、いかされる。でしょうか。
自分自身を活かせるのは、自分しかいないのだから。
随分前になりますが、一青窈さんの新曲が無料ダウンロード出来るよと教えてもらいました。
いままで、ファンというものがまったくなく、初めてファンかなーと思えるアーティストさんですが、全然ウォッチなんかしていなく、ファンクラブに入る気も全くなく、全然ファンじゃねーじゃん!?などと思っておりますが、アハハハ
こちらからダウンロードできます。
なんか、だんだん歌の感じが変わってきましたよねー?
とあるB級映画(笑に、『アーティストは感受性が高いもの、だからこそ観客を魅了出来る』的な一節がありますが、まさしくお手本のような人生を送っているような気がします・・・いいのかどうかはわかりませんが・・
何より決して驕ることなく、ただ自分の経験を詠い、伝えようとする姿勢がファンを魅了するのではないでしょうか?
詩中にこんな一節があります。
子ども時代
先生にはちゃんと見破られてたこと
妬んでばかりいた自分に手を手を振るよ
あぁ?なんだか耳が痛い・・・耳が痛いですねー
人は生を受けた瞬間から、いろいろなものを与えられて成長していきます。確かに一青窈さんのいう『螺旋状に負の感情に陥る』こともある。
そんな時は、自分が世界一の不幸者に思えてしまうかもしれない。
でも、そんなときでも、きっと何かを与えてくれる人がいるんじゃないのだろうか?
もちろん、与えられるのが悪いわけではない。むしろ全ての人が常に与えられて生きているものだと思う。
けどね、与えられているものを、当たり前のことにしまっていないか?
ただ、おはようを言ってくれる・・・
ただ、ご飯を作ってくれる・・・
ただ、だいじょうぶ?と声をかけてくれる・・・
そんなありふれた日常を、ありふれたものにしているのは誰だろう?
退屈な仕事・・・つまらない仕事・・・
そんな退屈で、つまらない仕事にしているのは誰だろう?
幸せとは、まるで当たり前のようなことが、本当は当り前なんかではなく、『与えられている』ということに気付くことことだと思う。その幸せの形に気付いた瞬間、全てのものに色が付き、逆に自身が与える側になった時、きっと同じように幸せを感じられる・・・
ここを見てくれている人に、自分にとらわれてしまっている人もいることと思う。
自分はなんて不幸なんだろう・・・自分はなんてだめなんだろう・・・自分は・・・
こう書くと傲慢かもしれない。
けど、そんな自分は~病は、ひとまず脇に置いてほしい。
そして、過去現在にわたって、与えられたことを想え、与えてくれた人を想え。
そして与えられたものを、自分が与える立場になった時、どんなふうに想うだろうか?、どんなに大変だろうか?ということを想え。
そして・・誰かに与えられた分、自分は与えたのか問うてほしい・・・
きっと、そこに気付いたらだいじょうぶ。そうしたら、自分が何者なのか見定め、そして舞台に立とう!
そして、いつか、自分のような境遇の人にあったなら、今度はあなたが伝えればいい。
そうしたら、きっと未来は明るい。あぁ未来は明るい!(勝手に妄想中
そんなことを、ちょこっと思う今日この頃です。ちょこっとね。うん。
前回の車がない><は、ちょっとあほすぎたので、名誉挽回!ってな感じで考えること2週間、かれこれ8時間くらいかかったけど、無駄に長いだけの文章を最後まで読んでいただきありがとうございます :)
10年くらいホームページにあほなこと書いてきて、数年後あほやなー!と、インターネットアーカイブに残るサイトを見て、毎回苦笑いするわけですが、数年後これを見て自分がどう思うのか、ある意味楽しみですね!
こういうネタは疲れるので、次回からは超マニアックな話題とか、やはりあほ路線でまいりたいと思います。
終わり。
先月末になりますが、ホームページでもお世話になっている、石山病院様のパンフレットを納品してきました。
今回初めての印刷物ということで、ずいぶん時間がかかってしまいましたが、良いものが出来たかなと思っております。
病院って、お医者さんの力量がまず問われることが多いと思いますが、
母の付き添いでいろいろな病院に行ってみて思いましたが、病院って雰囲気がとても重要ですよね。
そんな中、今回のパンフレット、石山病院様の雰囲気をうまく表現出来たんじゃないかなと思っております。
今月7日に毎年恒例の盆踊り大会が行われたようです :)
[amazon cover B001G4Y9GK]
去年末くらいから、やたらめったら一青窈さんの歌を聞いています。きっかけは大家の詩を見て『何ジャコリャー』(優作風)と思ったのが始まりでしたが、Wikipediaで一青窈を調べてひどく納得しました。
ほんと、すごいと思います。
なにがすごいって、歌がうまいとか、澄んだ歌声とか、言葉遊びの多い詩だとかではなく、自分の悲しい思いを公の歌にするということがすごいですよね。
それってまるで、針山を歩いているようなものだとおもうんですよね。
あくまでも自分の目線ですが、歌うたびに思い出すし、歌ったあとの喪失感見たいなものも感じるのではないでしょうか。でも、だからこそいろいろなことに気づけるんだなぁーと、このコンサートツアーを見てて思いました。
ビデオ中、受け入れてについて語るとき、一青窈さんは言います。
『あー人を受け入れると言うことは、自分自身を受け入れることでもあるんだなぁー』
すごい言葉ですよね。逆に言うと・・・
しかしあれですね。『ささやき並木』の中で、『もうすぐ私は、母の年に追いつきそうです・・』
これはねー・・しんどいっす!
続く
続きはそのうちにして・・・
アイルホーム様が「北の木の家」として認証されたということで、今日は地産地消・地材地消のことを書いてみようと思います。
去年とか中国産の食品に問題が出てから、出来るだけ国産の「食材」を買うようにしているんですよね。まーそうすると面倒なので、お昼なんかは毎日「目玉焼きにウインナー」となっちゃって、栄養不足でかえって悪い気もするんですが(笑、ある種(自分だけかも知れんけど)ブームになっているような?、そんな感じがするんですよね。
で、いやー「地産地消」って言葉考えた人すごいなー!と思い、Wikipediaで「地産地消」を調べてみると、なんや20年以上も前から言われていることなんですね。んーなんかその割にはねー・・なんて思ってしまったんだけど・・
お金って循環しているものですが、経済!というと大局過ぎて一般庶民には入る余地のないものに感じるけど、「あーどんな風に循環してほしいかって、1人1人が選択することできるんだなー」とふと思った今日この頃でした。
終わり
[amazon B001O01SGU full]
1992年アメリカ最北部、アラスカの荒野でクリストファーという若者の死体が発見された。裕福な家庭に育った優等生の彼が、なぜ全てを捨てて旅立ち、2年間の放浪の果てにアラスカで最期を迎えたのか。 ジャーナリストで登山家のジョン・クラカワーはこの出来事を綿密に取材し、ノンフィクション「荒野へ(原題:Into The Wild)」を発表、一躍ベストセラーとなった。この「荒野へ」に激しく心揺さぶられたショーン・ペンが10年近くをかけて映画化権を獲得。実力派のスタッフ&キャストが結集し、ついに本作「イントゥ・ザ・ワイルド」が完成した。理想と現実のギャップに悩み、全てを捨てて真実を追い求めた主人公の姿は、見る者すべてに衝撃を与える。 旅の終わりに彼が知った“真実の幸福”とは・・?
いままで見た映画の中でもっとも魂にグサリと来たといっても過言ではない作品でした。
成績が優秀ながら、庶子として生まれ、父親のDVの中で育ち、それらやり場のない怒りが荒野へと旅立つきっかけとなったのでしょう
『旅の終わりに知ったこと』。
この若者クリス。旅の過程で様々な人々と出会い、短い期間ながら共に過ごすのですが、その知ったこと(むしろ気づいたことと言いたいが)が、常にそこここにあったのに、なぜ飢え、毒におかされた状況の中でしか気付けなかったのか。
気付くのは飢える前でした?
確かに、アラスカへ行くという目標があったからだとは思う。 けど、それらもひっくるめて彼自身の力がすべて外に向けられていたため、その『知ったこと』そのものの存在すらわからなかったのだろうと思う。
実際、反抗期というのは子どもと大人、それぞれの社会のギャップを吸収するためにも必要なことだと思うんだけど、そのあまりの力が、その環境が、こういう結果になってしまったのはとても切ないですね。
淵に立ち、力を出す事をやめ、過去を想い、そして、受け入れることで彼は気付くのでした。
生き方に悩んでいたり、自分探しをしたいと思っている方は、ぜひご覧になってみてください。そしてただ見るだけでなく、自分の過去を想い、感じることで何かを見つける事が出来るかもしれません。
続く
次週もよろしくお願いします~ :)
近年IT分野で、分散が注目されています。
どういったものかというと、1台のパソコンもしくはネットワークだけでは、求められる要件(主に速度)に対応することが難しいことから、たくさんのパソコンを繋げて処理を分散しよう!というものです。
実際、この分散コンピューティング自体はずいぶん昔からあるもので、なんといっても現在その大頭的存在してあげられるグーグルでは、30万台ほどのパソコンさん♪ががんばっているらしいです。
そして、そのグーグルの学術論文をベースにして、米ヤフーの人がオープンソースとして開発している、Hadoopが注目(いや、もうずいぶん前からですが・・・)されているのが、この分散ねたを書くきっかけとなりました。
で、なぜ分散ねたかと申しますと、
この分散というものを主に社会に適用できないものかな・・などと考えていました。
そんな折、ずいぶん前になってしまいましたが、TV番組「太田総理」にて、道州制の話題になったときに、誰かがこんなこと言ってました。
「賛否両論はあるけど、考える」と。
前回ご紹介&サイト公開をさせていただいたアイルホーム様のホームページを製作中、大坂社長のインタビューさせて頂いた訳ですが、
その中で、今ほとんどの企業が集約することに力を入れている中、今後は各地に小さな事業所を作りたいとお話していました。
それはいわゆる分散なわけです。
実際問題、賛否両論があるかと思いますが、なんといっても基盤として、すべては「人」だということを改めて教えて頂きました。人がサービスを提供し、人が社会を形成し、人が経済を作っているわけです。
ITの話に少し戻りますが、この分散技術。
たとえばデーターを分散環境に置く場合、効率よく処理(出し入れ)するために複数のパソコンに同じデーターを重複して持たせておきます。
しかしその代わりに、書き込み指令を受けたパソコンが、書き込みを行う場合、同じデーターを重複して持っているパソコンにも、新しいデーターを送って更新する必要がありますよね。そうしないと人によって検索結果が違ってしまったりするからです。
これの意味することは?
横のつながりが密で、尚且つ単独で完結することが出来、1つが壊れても途切れることなく稼動することが出来ると・・・・
小さな事業所、このITの分散環境と同等のことが言えると思うんですが、さらに対象が人である以上、なんといっても重要なのが、集約された1つの拠点のときよりも、分散された小さな事業所のほうが、それだけ矢面に立たされる人が増え、矢面に立たされた分、教えられないことを、自ずから気づいたり学んだり、その結果経済が発展するというようなことがおこるのでは?と思いました。
デメリットに関しても分散コンピューティングと同じようなことがいえそうですが、例えば場所に関しては、でっかい誘致でなく、ちっこい貸し事務所~とか、会議なんてこれだけ光回線が充実しているんだから、ネットでいいやん!とか。
そして、分散~分散~しているうちに、「いやーこの町、昔過疎っててさ~~♪」なんてことになったら、なんかおもしろいですね!
そんな感じ(テキトー