必要でなかったもの
2009-01-05(月) 06:33 | 三浦周時
小学生の子供に携帯は必要ありません。
今はそうです。
近い将来それは常識ではなくなります。
というか、すでに変わり始めています。
私にはもうすぐ中学3年生になる娘がおります。
中学入学のときに携帯を買い与えました。
あれからまもなく2年が経ちます。
娘にも言い聞かせていますが、受験生になってから携帯に夢中になってもらっては困るのです。
だから少し早めに与えました。
もうひとつ大切な意味があります。
塾が終わるのが夜の9時すぎなのです。
四季を通して行き帰りにかかる時間は変わります。
夏は自転車なので危険は少ないですが、雪がある時期はバスです。
「夜道では携帯で喋ってる振りをしながら帰っておいで」
これが我が家なりの子供の防犯です。
先日、妻の急な入院での連絡手段に携帯メールが非常に役立ちました。
腎不全で血液透析をしており体調が不安定なのはいつものことなので娘は平然としていましたが、本当は娘も、妻の入院中私の実家に3日分の教科書と部活の道具と塾の宿題を運ぶのは面倒なはずです。
雪の中、自動車免許のない私は娘と一緒に台車代わりの自転車を押して運びました。
この時点ですでに看病疲れでくたくただった私は、一度妻を病院に預けられてホッとしていました。
平然すぎる娘は友達の家に門限ギリギリまで遊びに行ったままでしたが、携帯電話のおかげで「早く帰って来い」ということができたので、私は自分に「あともう少し頑張れ」と言い聞かせることができました。
二泊三日、妻の入院中は何もせずに寝て過ごし、体力の回復を図りました。
私自身の体力や能力の限界は徐々に健常者に近付いていますが、かつてサラリーマンだったときのように仕事をしながら体力の回復を図るのは今となっては至難の業。
私のような人間でも働ける発明”中間労働”が、家族の看病でも役立っています。
そして、子供が携帯を持つのは、むしろ防犯の意味と現代の地域社会から守るために必要となります。