パッチ・アダムス
2008-04-13(日) 15:45 | 長沼睦雄
引越しして2週間が過ぎました。
ようやくダンボール50箱以上の荷物の整理と整頓が終わり、来る前に残していた仕事に取りかかろうとしています。以前はこのようなことはなかったように思いますが、最近は綺麗にすることや片づけることへの意識が強くなっているようです。
先日、病棟にあったパッチ・アダムスの本を読んでいたら、「テレビの電源を切ることは些細なことだが、革命的といってもいいほど生活に大きな変化をもたらす。」という文章があり、さっそく試してみました。
テレビの変わりに音楽を聴き本や仕事に向かうのです。昨日は一日家にいて、おおまかに整理して片づけておいた棚などを配置換えしたり整頓したりして過ごしたのですが、一度やりだしたら過集中となり、簡単な食事の時間を除いて12時間ずっとやり続けてしまいました。
書斎は本に、寝室はファイルに囲まれる空間を作り、真ん中のリビングにはビデオやTVをおき、ダイニングはこれまでの子どもたちの絵で満たしました。このような自分の場所と空間ができたのは子どもに自分の部屋を取られて以来15年ぶりでしょうか。
整理する段階になって、これまで閉まってあったさまざまな物を改めて見直し取捨選択することになりました。これまで毎年使い、終わっても取っておいていた士幌(?)出身の画家・作家である「はせくら みゆき」さんのカレンダーも捨てるのに忍びなくて、その絵を切り出し、リビングの壁にたくさん貼りました。音楽と絵画に満たされた広い空間はとても居心地がよく心が満たされます。
片付けていて、いつそこに出したかも覚えていないのですが、大学時代の私に向けて書いた父と母の手紙が布団の上に置いてあり手にして読み返しました。父は父らしい、母は母らしい言葉と文字で書かれていました。
今の自分は、当時の父母のように、大学生の息子に仕送りしているのですが、父や母のその時の気持ちがよくわかる気がします。この不思議な出現を偶然とは思えず、手紙をラミネートして、父母一緒に北海道旅行した当時の写真と共にお仏壇に飾りました。
私は父母を大学時代に共に亡くしています。若い頃は気がつきませんでしたが、これから社会に育ち結婚して孫もできよう時期に他界しなければならなかったことは、どんなに心残りだったことでしょう。
母は亡くなるのを予知していたのか、亡くなる直前に「汝の幸せは 汝の心にあり」というメモを残していました。信仰深かった母らしい言葉であり、残された3人の子どもたちへの遺言だと思い、その言葉を肝に命じて生きています。
「パッチ・アダムス」はロビン・ウィリアムズが主演して映画にもなりましたが、精神科医であり、笑いの大切さを訴え、誰でもが受けられる無料の病院作りを提唱している人です。
その本のなかに、「ビジネスとして医療を行えば、誰もが傷つく。医療を行うことで受ける報いは、実は人のために尽くすことで感じる喜びであり、自分自身を再発見する驚きである・・・。自分を癒すためには人に尽くすことである。そして人に尽くすことで、心には平穏が戻るのである。」という文章がありました。
私も自分のこれまでの体験から、この言葉の真実がわかります。子どもたちを診療し検査しセラピーしてきたのだけれど、実は子どもたちの姿が自分の中にあることを見いだし、子どもらを受け入れることで自分の頑なさやこだわりが解放され癒されてきたのです。
病棟に初めて入り、ある患者さんが自分はこの本を読んでいると言って案内してくれた本棚の中にパッチ・アダムスの本がありました。これも偶然とはいえ意味がありそうです。
アダムスが最後の章に、「情熱と不屈の精神があれば、世の中は変わる!私たちは苦しみながらではなく楽しみながら世の中を変えるのである。この楽しみながら変えるということが非常に重要なところだ」と書いています。
私はヒューマン・センサーという脳の分析からは、右脳の左脳型であり、エンターテイナーとしての素質があるそうなんです。そうはみえないかもしれませんが。
社会というのは、いろいろな意見の人がある目的のためにお互いに折り合って成り立っています。顔が違う以上に心の中は千差万別なんです。だから、同じではない、違うのは当たり前としてやっていかないといけないのです。
お互いに譲り合って、認め合って、折り合っていくことが必要で、相手の言うことをよく聴いて受け入れていくことで、ものごとはうまく行くようになるものです。そんな中で笑いや楽しみが生まれてくるのではないかと思います。
目に見えない障がいである、発達障がいや高次機能障がいを持ち、悩んでいる人や家族が気軽に相談し支えあえる場と仲間をこちらで作りたいと考えています。