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決断

2007-11-18(日) 02:52 | 長沼睦雄

来年度の職場をめぐって、今年の3月から、さまざまな迷いがありましたが、やっと今週決着をつけ、道庁の意向どうりに精神科の認定医を取るため3年間の初期研修にS病院に行くことに決めました。

3月には一旦は新センターには入らずに、S病院に研修に出ることを決めたのですが、いろいろな先生方の話を聞くにつけ迷いが生じました。

幸いにも、次に新センターに来られる予定の先生が来れなくなったことで話が流れ安堵していましたが、実は道庁としては、新たな先生を入れる計画を立てており、私は研修に出ざるを得ない状況にあったのでした。

その事実を知り、あわてて道庁に自分の新センター残留の意向を伝える要望書を出したのですが、道庁の技監との話し合いの結果、一連の流れの真実がわかり、残留を諦めることになったわけです。

その真実とは、新センターを構想し人事を決める幹部の方々が、私が行ってきた精神科での発達障害診療の意義や苦労など視野になく、どこのセンターを真似たのかはわかりませんが、一般精神科として精神科を位置付けたということです。

私はAS/ADHD/LDタイプなので、視野が狭くて俺ルールが強く、好きなことをやっていれば満足で、仲間を作ったり、形にすることを不得意とする特性でしたので、自分の興味と社会のニーズに従って、発達障害診療を、一人で自分流に思う存分に拡大させてきたRセンターでの14年間だったわけです。

他の児童精神科の先生方が、社会にハッキリとわかる地上の建物作りに力を尽くしていた時に、私は社会にはわかられない地下の探索に力を注いできました。元来、視野の狭さや熱中してしまう性質があり、人が見ないところ、人が気にしないところ、人が見捨てたところなどに興味をもち、とことん手を出したくなるわけです。

医学部に入ったのも公害に苦しむ人を救いたいという純粋な気持ちからでしたし、医学部を卒業して神経内科に入ったのも神経疾患への純粋な興味からでしたし、生化学の基礎研究をしたのもシナプスへの徹底した興味からでした。

Rセンターに行ったきっかけは、自分に障害をもつ子どもを授かり、その子に感覚統合療法を行ったのが契機となり、障害児のリハビリテーションに目が向いたためでした。ADHDの性質のためなのか、児童精神科という新しい分野にも恐れずに移ることができましたが、移ってからその奥深さに気がつき2年目に辞めようかとたじろいだことを覚えています。

14年前は、今からは信じられないほどのんびりしていて、初めの年は年間の新患数が1桁でしたから、いろいろなところに研修に出て必死で発達障害を学んでいました。心理士もいましたが、自分で検査もセラピーも診療もできる医師になることを目指して、何でも自分でやってきました

初めは、自閉症の重い子どもの診察や療育が多かったのですが、次第にLDやADHD,そしてPDDやASの子供たちが受診するようになり、さらに思春期の子どもたちや大人も診るようになりました。不思議なもので、自分が興味があり診れるようになった患者さんが次々に来るという診療の連続だったような気がします。

さすがに大人の診療は制限されたものの、親も診れたり学校訪問もできたりしたのは、院長先生が診療の自由をある程度保証してくれたからだと今では感謝しています。

話が横道にずれましたが、要するに、私は地下に穴掘りをしていたために「井の中の蛙・・・」になってしまったのだと思います。これもひとえに私の発達障害の性質がなせる業だと思いますが、このまま居直って突き進むか、そんな自分を反省して方向変換するか迷った結果、後者を選ぶことにしたというわけです。

発達障害の性質は決して障害などと否定的にみるべきものではないわけですが、放っておくと生きにくくもなる性質なので、そんな自分だと居直って硬くなるのではなく、そんな自分でもいいですかと自分を開いて、関わりのある人たちに認められ支えられていく自分になりたいと願っての決断でもあるのです。

これまでも、自分や家族で起こった辛い経験がすべて身になり診療に役立ってきたので、今回もきっといろいろあるだろうけど、今後の自分の診療に役立つ経験ができるのではないかと恐れながらも期待してもいるわけです。